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manga freak 's room 漫画フリークのレビュー部屋です。 今まで読んだ様々な漫画やコミックのレビューや感想、批評を独断と偏見で語ってます。 同人誌とかはありません。
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ライフワークとしては成功、漫画としては・・・?

私は心の底から手塚治虫を尊敬している。 理由を挙げれば限が無いが、やはり今日ある日本の漫画文化を築いた人であるし、作品が後世に与えた影響はもはや漫画界だけに留まらないからだ。 そんな手塚治虫も劇画ブームに押され“過去の人”になりつつあった。 そんな作者に死に水を取らせてあげようと少年チャンピョンが5回のみの連載枠を用意したのがこの作品が生まれたきっかけだ。 そして作者は再び漫画界に返り咲いたのである。

初めて読んだとき、子どもだったので非常に難解であった。 特に難しい病気の話が多かったのとグロテスクな手術シーンが印象的で、そこまで嵌らなかった。 一話読み切りということもあって、途中で中断できることも嵌らなかった要因の一つかもしれない。 だが、歳をとるにつれて、徐々にこの漫画のおもしろさを知るようになった。 それは病気や手術よりも、その話の内容にである。 読み切りなので好きな話嫌いな話があるが、個人的には動物、BJの過去、主要キャラの話などが気に入っている。 中でも一番印象に残った話・・・

されどいつわりの日々
・・・あらすじ、ある日掃除をしていたピノコが家の軒下に猫の親子がいるのを見つけた。 子猫の一匹が怪我をしているようで、母猫が必死に傷を舐めている。 ピノコとBJが猫を治療するために捕まえようとするが、猫は激しく抵抗する。 そんな時、BJの元に某芸能プロダクションの社長と若い女性が訪れた。 その女性を人気アイドルと同じ顔に整形してほしいというのだ。 その人気アイドルは事故に合いアイドルとしては再起不能になってしまったという。 芸能プロの社長はアイドルの スケジュールがキャンセルになると、何億もの損害になってしまうので、身代わりを立てるためにやってきたのだ。 BJは身代わりになることを引き受けた女性を説得して(脅して)家に帰し、アイドル本人を手術し成功する。 アイドルは治ったはずなのに全く身体が動かないという、そんなことはない、とBJは必死にアイドルを叱咤するが彼女は「どうせ私はだめです」と弱音を吐くばかり。 どうも直りたいという気持ちがないようだ。 その間にも猫の母親は子猫を舐め続ける。 BJは彼女を抱きかかえ、軒下の猫を見せようとした。 猫が憤慨し飛び掛ろうとすると彼女は驚いてBJにしがみつく。 彼女の病気はヒステリーの一種で所謂 “甘え” だ、とピノコに話し一段落したと肩をなでおろすBJ。 だが、すぐにアイドルは自殺してしまう。 彼女が起こした事故は自由になりたいために技と起こしたものだった。 過度のスケジュールにより束縛された人生に悲観しての自殺だった。 BJは言う「バカヤロウ。俺はなんのために助けたんだ!!」
ピノコが軒下にいた猫が歩いているのを発見する。 治療を受けなくても、母親が舐めただけで子猫は怪我を治した。 それを知ったBJは苦悩する。

医者の存在意義というか、人を治すのは医療技術だけじゃない、世の中の不条理みたいなものをこの数ページに非常に上手くまとめている。 冒頭に出てきた猫は単なるオープニングではなく、実は物語の主軸であった。 生きる意志のあるものと無いもの、正に病は気からとでもいうべきか、「生きたい」という強靭な意志があれば、医療を施さなくても治ってしまう。 医者は何のためにいるのか、自信も医者である作者だから描ける話だ。
BJには、たまにこのようなBJの無力さを表すような話がある。 そこに作品をマンネリ化させない工夫があると思う。

話は毎回、様々な病気や医療技術の紹介がほとんどであるが、どれも天才手塚治虫の才能を存分に発揮しているといっていい。 作者の死後も漫画史に残る不朽の名作として、アニメ化はもちろん、ドラマ化、映画化もされた。

手塚治虫のライフワークとしては大成功だ。 だが、冷静に話を読んでみるとどうだろう?
どうしても気になる点がある。 それは、度を越えたヒューマニズムだ。 BJは口癖のように「医者は神じゃないんだ」というが、医者としての才能だけでなく慈善行為も多い彼は、まるでキリストと見紛うほどの超越した存在だ(何度も九死に一生を得ているし、、、)。 金持ちや政治家は悪、貧乏人や労働者は善、として極端な対比を描くことも多い。 一度そのことが気になってしまうと、なんと似たような話の多いことか・・・。 
熱烈なファンに怒られそうだが、私にとってはBJは、手塚作品の中でもそこまで最高な作品ではない。
読みきり作品なので、仕方ないと言えば仕方ないが・・・。

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フィクションとノンフィクションの絶妙な組み合わせ

手塚作品の中でも早い段階で読んだ作品。
表紙から大体わかるように、アドルフとは“アドルフ・ヒトラー”のアドルフが基になっている。
そこから架空の2人のアドルフ少年が、史実に登場する人物と絡んで、物語は成り立っている。

ヒトラー率いるナチスが台頭していた時代から二次大戦後、中東戦争までが時代背景になっていて、
その歴史上に出てくる実際の人物に、架空の人物の話を織り込んでいるが、あくまでもフィクションである。

物語に出てくるナチ党院は実際の人物(ゲッペルズやアイヒマン、ヒムラー、ゲーリング等) が多く、また、日本の軍人も有名な人物が出てくる。
ベルリンオリンピックや、映画でも有名になったスパイ・ゾルゲ事件なども出てくる。


史実を壊さず、フィクションを作るのはなかなか大変なことで、
手塚治虫の才能に圧巻された。

ヒトラーによる、ユダヤ人排斥や、特高による共産党員狩りなど、戦争や差別に対する批判のように受けられがちだが、作者がメインテーマにしたのはそこではない。“差別”は手塚漫画にはよく出てくるテーマだが、
その内容は一環して、差別を非難するものではない。

なぜ人は差別するのか?
この物語では、ヒトラーがユダヤ人であることを前提にしている。
自身がユダヤ人であるのに、自分と同じ血の民族を排斥せんとする矛盾が、なぜ起こってしまったのか。
それは、もはやヒトラー一個人の問題ではなく、世界規模での風潮や世論が生んだものではないだろうか。
毎日の生活が苦しい。なぜだ?戦争に負けたからだ。なぜ負けたか。ユダヤ人が我々の国に巣食い、美味い汁を吸っているからだ。ユダヤ人を排斥すれば、自分たちが豊かになるに違いない。
こんな言いがかりに近いことが、当時は立派な大義名分になってしまったのだ。
そして一般市民は、ヒトラーが救世主であり、ユダヤ人といえば悪の象徴だと心の底から信じて疑わなかった。

作中、特に印象的だった箇所がある。
ドイツの一般市民が、晒し者にされているユダヤ人に対して暴言を浴びせたり、暴力によって倒れたユダヤ人を冷たい目で見ている老婦人などのシーンだ。そこには良心の呵責に苛まれる、などといった常識的な感情などは一切見られない。かといって悪意があるわけでもない。ユダヤ人は然く排斥されるべきだ。と当たり前のことと思っている。その表情の画は絶妙である。
そして、次のシーンはこの作品の中でもとりわけ興味深い。
作中、ロンメル元帥がヒトラーの命によって殺されたことをしったアドルフは、それまでヒトラーに忠実な部下であったが、さすがに敬愛していた英雄を殺され落胆の色を隠せなかった。
ユダヤ人輸送担当官に左遷されていたアドルフとアイヒマン少左とのこんなやり取りがある。

「あんな英雄を殺すなんて。総統は完全に狂っている。もう沢山です。狂った総統の下で我々は戦っているんだ」

「今更驚くなよ。とっくに誰だってそう思ってるさ。あの総統の下で忠誠を尽くす我々全員も実は狂人の群れなんだ。俺も、君もな」

ヒトラーに忠実な人間ほど自分が行っていることが狂気であることを承知している。彼らこそ実は一番正常なのだ。アイヒマンは実在の人物であるが(そういえば、アイヒマンもアドルフだ・・・)もちろん、このような発言の事実はなく、作者の創作だ。だが、実際にそう思っていたとしてもなんら不思議ではない。いや、むしろ本当にそうだったのかもしれない。

作者はあくまでも客観的に見ていて、これらの光景を全く関係ない外側の世界から描いている。
作者自身、戦時中を生きてきた人間だからこそわかる、当時の狂気なのかもしれない。

話のラストは少々無理やりといった感じはあるが、よくまとまっている。

時代に翻弄されて生きた二人のアドルフの人生とはなんだったのだろう?
虚しさが残る作品だった。

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