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manga freak 's room 漫画フリークのレビュー部屋です。 今まで読んだ様々な漫画やコミックのレビューや感想、批評を独断と偏見で語ってます。 同人誌とかはありません。
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一条ゆかりのライフワーク的漫画



少女漫画界の大御所、一条ゆかりの代表作。
超大金持ちの高校生6人が、数々の事件や騒動を起こし、解決する。
映画でいうとアクションになるのか?

一条ゆかりの画の素晴らしさは、今更語るまでもないが、本作品は“知的コメディ” といった要素が強い。
作者の作品はシリアスなものが多いなかでこのような話は珍しい。

毎回、1話~2話ほどの短編読みきりという型をとっており、月刊誌でも不定期連載である。
故に話は毎回全く異なるが、いくつかのジャンルに別れている。
事件(政治家の汚職の暴露や殺人事件等に巻き込まれるケース等)、事故(偶然起こった事故に巻き込まれたり首を突っ込むケース)、メンバーの一人を主役にした話、(その場限りの恋愛等)、ホラー、その他、等である。
中にはシリアスな話も多いが、ラストはたいていギャグ的なオチで終わる。

また、作者の漫画ではどれもそうなのだが、この作品では特に作者の趣味、知識、教養、遊び、人生経験、食・ファッションに対する拘り、などが数多く見受けられる。それらは一般教養的なものではなく、かなり“ツウ”な人間にしかわからないような細かいことまで描かれていたりする。それらを表現するために、6人のメンバー一人一人を個性的に、全くジャンルの違うキャラクターに設定している。
派手好きで食が大好き男勝りの女の子、病院の息子で秀才で年寄りのような趣味、警視総監の息子で不良少年、美貌を大切にして玉の輿を狙う今時の女の子、茶道の家元で大和撫子、ホストのようなクウォーターの少年、 といった具合にそれぞれが巧く六角形の端になるようなキャラの濃さである。
これだけ豊かにキャラクターに個性を持たせているので、ネタが尽きることはほとんどないだろう。
キャラ設定をしっかりする作者かどうかは漫画を読めば一目瞭然だ。
そんなキャラクターを通して、作者の人格は大いに表現される。時にはかなりマニアックな話もあれば、天才かと思わせるような難解な話も出てくる。よほどのインテリなのか?と思えば、ホストクラブや風俗業界の詳しい話題もある。初めて読んだときは「なんと豊富な人生経験を持った人だろう」と、その話の全てが瞠目ものであった。

恋愛がテーマになる話もある。
だがそれは6人の間では絶対にない。話が読みきりで終わるので、メンバーの一人がそれきりの登場人物と恋愛関係になったとしても、話が終わるとその関係も終わる。よって、6人の中で交際相手がいるものはいない。
この辺りは、この作品の不定期連載という性質上、自然となった形であると思われる。

作者の他の漫画作品も多く読んだが、ドラマ化されるとほとんどがコケる。
その理由は明らかだ。作者の漫画に出てくるキャラクターの多くは常人ではありえないようなキャラクターが多い。故に、ドラマの脚本云々の前に、キャストに違和感を感じてしまうのである。

作者の話は絶対に漫画で読むことをお奨めする。
画も特徴的で一目でわかる。

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人生観が変わる少し不思議な世界



今まで色々な形で出版され続けてきた短編集であるが、あえて 『カンビュセスの籤』 の表紙で紹介したのは、私が始めてこの短編集を読んだときの本の題名が『カンビュセスの籤』 だったからである。
私が子どものころは、藤子漫画は毎日のようにTVアニメとして放映されていた。
そんなとき、本棚にあったこの漫画を読んだのだが、全く理解できなかった。

内容は大人向けだ。
女性の裸体など、性的シーンも登場する。

再度、大人になってからこの漫画を読んだときは、衝撃的だった。これまでに味わったことのないような虚無感、寂寥感。この世の終わりを暗示するような末法思想。その最後の一人になったときをリアルに描く・・・。

はっきりいって鬱になります(笑)

私はそもそも藤子不二雄(二人とも)をかなり敬愛している。元々は『まんが道』が好きだったので、どちらかと問われれば藤子不二雄Aと答えていた。この短編集を読んでからは藤子・F・不二雄に対する見方が変わった。それまで、『ドラえもん』や『パーマン』などで子どもたちに夢を与えてくれていた漫画家と同一人物とは思えなかった。

最近気づいたことだが、彼のように万人受けする漫画と所謂コアな漫画を書き分けている漫画家はたまにいる。そのような漫画家は人気漫画家であることが多く、前者のような作品は知られていても、後者のような作品の知名度は低いことが多い。例えば高橋留美子などはいい例で、彼女の人気作品は軽い気持ちで読めるドタバタ喜劇などが多いが、彼女の短編集には陰鬱で、残酷で、内容の濃いものが多い。

話を戻すと、この短編集の一つ一つは、それぞれテーマがもちろん違うのだが、共通しているものもいくつか見られる。環境破壊、動物保護、発想転換、終末思想、等である。そして、これらのテーマをダイレクトに描くことはしない。例えば自分が当たり前のように殺す蚊に、ある日突然自分がなってしまう、(これは私が作った例えで、作品にはありません)といった表現の仕方である。

天才がうまく言葉で言い表せないような感情や思想を表現するツールとし彼の場合は漫画であったわけだが、
この短編集は漫画だからいい。これがTVでドラマ化されようものなら、せいぜい『世にも奇妙な~』の一話として収まるくらいの話に成り下がってしまうだろう。小説ならレイ・ブラッドベリーのほうがおもしろい。
映画化?とんでもない。この短編は短編だから興味深いのだ。

つまらない人にはつまらいない。誰もが読んでおもしろいとは決していえないが、一読の価値は十分にある。

私のお気に入りの話を幾つか紹介したい。
【注意!!】
レビューの部分にはネタバレも書いてあることがあります。
というか、まだ読んでない人はあまりここから先は読まないほうがいいかもです。

★カンビュセスの籤
(あらすじ)・・・
紀元前、軍人だった主人公は遠征中に食料難になったことから、仲間の一人を犠牲にして食料代わりにしようということから、籤によりその食料になるべき人間となってしまう。
そこから逃げる過程で、遥か未来にタイムスリップしてしまうのだが、その未来はさらに絶望的な場所であった。

(レビュー)
なんとも重苦しいテーマである。
どんなことがあっても種を存続させようとする人間の本能、使命感を究極のストーリー展開で表現している。
終末戦争によって最後の一人となってしまった人類。その最後の一人のもとに、さらに最後の一人となりうる人間がタイムスリップしてきた。 しかし、どんなことがあっても人類は生き延びなければならない、そのためにはどちらかが食料となるしかない、もちろん、そこで生き延びたからといってその先に明るい未来があるわけではない。 その間に彼らがとった唯一の希望は「宇宙外生命体」へのヘルプ信号である。
もちろんそんなものが存在するかどうかはわからない。でも、わずかでも希望があれば、なんとか寿命を延ばしてそこに縋らなければならない。
究極の終末論である。

・ミノタウロスの皿
(あらすじ)・・・
宇宙船の乗組員である主人公は、自分ひとりを残し、残りのクルーが全員餓死してしまう危機的な状況に陥っていた。 そこでたまたま漂流した星で、かわいい少女に助けられる。だが、その星では牛と人間の立場が逆転し、その少女は祭りで出される予定の食用の家畜だった。

(レビュー)
“猿の惑星”のように、立場が逆転する話。我々が当たり前のように食べている牛肉。でも、実は我々が食べられる立場で、牛が食べる立場だったらどうだろう? そんなふとした疑問からこの作品は生まれたのではないだろうか。

少女はその美しい外見から、名誉ある祭りの“メインディッシュ”に選ばれた。
主人公は美しい彼女が食べられるという現実を受け入れることができるはずもなく、なんとか阻止しようと躍起になる。しかし、牛は人間を食べることを、自然の食物連鎖の一部と考え、「我々(牛)と人間(家畜)とは深い絆で結ばれている。 虐待などもっての外だし、愛情を込めて育てている」 と主張する。
彼女を何とか“救おうと”、一緒に逃げよう説得する。 少女は「死ぬのは怖い、でも逃げ出すのはもっと怖い」と話す。彼女自身は食べられることを誇りに思い「多くの人の舌を楽しませることができるのよ」と自慢げに話す。
もし、我々が好んで食べている牛がこのように思っていたら?心置きなく食べることができるだろう。
実際牛がどんな風に思っているのかなんてわかるはずもないのだが、「きっと食べられることを誇りに思ってるはずさ」と表現しているこの作品は、まさに現人類の都合の良い考えそのものなのかもしれない。

★間引き
(あらすじ)・・・
増えすぎた人口、減り続ける食料、地球は深刻な問題に直面していた。 新宿駅地下にあるロッカーの管理人をしている主人公のもとに、ある日記者が取材に来る。 ロッカーの一日に密着したいという。
毎日当たり前のように平凡な管理人をしていた主人公は、記事のネタにもならないと思っているが、記者は当たり前のようにロッカーに子どもを捨てる夫婦や殺人事件など、これらの出来事と現代の人口増加、食料難問題との関連性を説いていく。 それは、“衣食足りて礼節を知る” つまり、人間は食料や住まいなど、最低限の物が満たされていて初めて、愛情などの感情を持つことができる。 現代社会において、人間がそれらの感情を失い、当然のように他人の命を軽視するようになったのは、人口増加を抑制しようとする人間の本能が働いたからである。 今までもそれは戦争や疫病といった形で現れており、それらは自然に起こった事象ではなく、起こるべくして起こった、まさに大いなる宇宙意思のような目に見えない作用が働いて起こったことなのだ。 
今もそうして、人類は“間引き”を行っているのだ。

(レビュー)
非常に興味深い話である。
人口は増えすぎても減りすぎてもいけない。 ちょうどいいくらいの数があって、人類は本能でそれを調節しようとする。 レミングは増えすぎると集団自殺する。 苗を立派に成長させるためには、一定の間隔をあけてひ弱な苗を抜かなければならない。それは人間にも、愛情という感情を減らすことで徐々に現れている。 我々は、いつの間にか間引きしたりされたりする生活を、当たり前のように過ごしているのかもしれない。藤子F短編集には、人口や食料を題材にした話が多い。その中でもこの話は近い将来に十分ありえる話で、真の恐怖を感じる。

・箱舟はいっぱい
(あらすじ)・・・
サラリーマンである主人公は、新築の家を持つ隣人に、突然家を安値で売りたいが買わないかと、かなりの好条件の話を持ちかけられる。 喜んで飛びつこうとした主人公であるが、その頃、大きな惑星が地球に衝突し、一部の選ばれた人間のみがシャトルで生き延びることができるといううわさが広まっていた。
その隣人は、そのための資金を捻出するために家をうろうとしていたことに気づき・・・。

(レビュー)
話の元ネタは旧約聖書の”ノアの箱舟”。 実際、地球が未曾有の危機に晒されたとき、こうなるんだろうな、と思わされた話だった。ものすごくリアリティがなくて、ものすごくリアリティがある作品。

★劇画・オバQ(←この話を私は、子どもの頃普通のオバQをTVで見ながら同時に読んだ・・・)
(あらすじ)・・・
話は正ちゃんが大人になってから、再びQちゃんが遊びにくるところから始まる。
正ちゃん大企業のサラリーマンであり、結婚もしていた(よっちゃん以外の女性と)。
子どもの頃からの友人であるハカセから脱サラを持ちかけられ、悩んでいるところにQちゃんと再会。
子どもの頃のまま時が止まっているQちゃんと大人になってしまった正ちゃんとのギャップ。
昔とは変わってしまった時代を、悲しく感じるQちゃんであった。

(レビュー)
おなじみオバケのQ太郎の“続編”とも言える(ある意味いえないかも・・・)話。
題名の通り、劇画タッチで書かれている。そのことがより一層、子どもの頃と変わってしまった現在を表現している。内容はオバQのころの楽しさのかけらもない。当たり前のようにご飯を20杯食べるQちゃん、現実的に考えれば物凄い食費であり、正ちゃんの奥さんはQちゃんをだんだんと疎ましく思う。ラストでは、正ちゃんに子どもができ、Qちゃんは「正ちゃんはもはや子どもではない」とはじめて認識し、正ちゃんの元を去っていく・・・。
小生はこの話を子どもの頃に読んだので、TVアニメでやってるQちゃんを見ても、「いずれ正ちゃんは大人になるんだろ・・・」と思うと、楽しくもなんともなかった・・・。

・気楽に殺ろうよ
(あらすじ)・・・
平凡なサラリーマンである主人公はある日突然謎の腹痛に襲われる。
特に何があったわけでもなく、その時はそれで終わったのだが、気が付くと自分の周りがどこかおかしい。妻は食事を極度に恥ずかしがり、子どもに読んで上げた絵本にはセックスの描写が。そして、驚くことに“殺人”が公認されている。妻は夫を心配し、精神科医の元へ連れて行く。

(レビュー)
人類の三大欲求である睡眠欲、食欲、性欲、その性欲と食欲を逆転させた話である。人類はこの食欲、性欲のどちらかが欠けたら滅亡するだろう。人は当然の如く性欲は恥であり、食欲は生きるために当然のことと認識しているが、医者は言う 「食欲とは、個人的、閉鎖的、独善的、な欲望である」 対して 「性欲とは種を存続させることを目的とした欲望であり、公共的、社会的、発展的、性格を有している」 と。二つとも根底にある目的としては、同じなのに、どちらかを恥ずかしいものとして閉鎖的にしてしまっている。そして、殺人。主人公の目の前で当たり前のように子どもを捨てる学生カップル。「この子は嫌だから新しいのを作ろう」とその場で性交しようとすると、警察官に「スペアを作ってから保健所に届けなさい」と注意される。そして当たり前のように近所の奥さんが旦那を殺している。主人公が発狂しそうになり、さらに妻から殺人の権利書を譲ってあげましょうよ、と話を持ちかけられるとついに主人公は本当に狂いそうになってしまう。

昨今の日本の出生率の低さを鑑みれば、もし性欲が今の食欲のように当然のように行われるものとなったら、少子化の問題を一気に払拭してくれることになるだろうし、逆に食料難になる心配はなくなるだろう。
今の日本には一番合っているのかもしれない。このパラレルワールドでは、気に入らない人間がいれば殺してもよい、ただし殺しすぎてしまうと人口が減りすぎてしまうので、その分“殺人の権利”というものがある。 その権利を手に入れるためには、その分の新しい生命を生み出さなければならない。つまり、その人間の人権どうこうは問題ではないのだ。 一番の問題は人口の増減で、一人減れば一人増やす、一人増やせば一人減らす、という合理的な思想から成り立っているのだ。

人を殺すのはいいことか? いや、いけないことだ。 なぜ? 生命は尊重すべき物であるから。なぜ尊重すべき物なのか? わからない、でもそれが当然だと教わったから。その分人口は減らない、減らない分増えたら困る。だから性欲は恥ずべきことだと認識される。それは出生率を下げる原因となり、うまく人口の調整を図る。故にこの世界は、人口を増やしてその分回転率をもって調整するよりも、いいものを食べて、一人ひとりの寿命を延ばそうとする意識(食欲)がオープンになっているのだ。

非常に考えさせられる内容だ。
短編集の中でも傑作中の傑作。

★ヒョンヒョロ
(あらすじ)・・・
“うさぎ”のような異性人(?)から「ヒョンヒョロ」というものを要求し、要求が飲まれない場合は“誘拐”を実行するとの内容の手紙を受けた子どもは両親にそのことを訴えるが、両親は半信半疑のまま「誘拐」ということばに念のため警察を呼ぶ。そして目の前に“うさぎ”が登場するのだが、両親はこんな非現実的なことはありえない、とそのうさぎを見てみぬフリをする。うさぎはなんとかして「ヒョンヒョロ」を手に入れようとするのだが、警察も両親もまるで子どもの誘拐ゴッコの茶番につき合わされているような態度をとる。うさぎは警察の目の前でパトカーを“誘拐”してみせる。警察はうさぎに発砲したり逮捕したりしようとするがそれは叶わない。それら全て、両親も警察も真剣になっていないのだ。認めない、こんな非現実的なことは認めないぞ。ありえないんだ。子どものお遊びだ、という考えが終始一貫している。
やがて、うさぎはまるで誘拐ゴッコのお遊びをするように刑事に張り込みまでさせて、「ヒョンヒョロ」の受け渡しを実行するように演出をするのだが、その間も刑事は「あーあほらし」とまるで真剣になっていない。
そして、ついに「ヒョンヒョロ」を手に入れられないと知ったうさぎは激怒し、ついに“誘拐”を実行してしまう。
その誘拐についてははっきりと描写されてはいないが、どうやらそこにある対象物をどこか(異次元?)に送ってしまう行為のようだ。“誘拐”の対象は、その子どもを除く全人類だった。そして、「ヒョンヒョロ」はその子どもが持っており、話の冒頭で両親に訴えかけていたことであった。

(レビュー)
最後の最後まで、現実と認められないものは認めない、とする大人達の態度が招いてしまった悲劇である。
大人は時として、子どものいうことを真摯に受け止めなければならない。
それが後に、重大な結果を招くことに成りかねないからだ。

★定年退食
(あらすじ)・・・
高齢化と共に訪れた深刻な食料難。それは配給制になるまでになっていた。
そんな中、政府は苦肉の策として「定年法」という法律を出した。その内容とは、年齢により60歳までを一次定年、75歳までを二次定年とし、二次定年を超えた人には食料、年金、医療など、一切の社会的保障の対象外となってしまう。。つまり75歳以上は “いらない” ということである。主人公はちょうどそのギリギリのラインにいる年齢の老人であるが、実は食料難は日々進行し、政府はさらに定年法の年齢引き下げという政策に踏み切ってしまう。

(レビュー)
この話を読んだとき、藤子F不二雄は天才だと思った。
この話、読んでみて何かに気づかないか?
そう、まさしく今の日本がこの話の状態になりつつあるのだ。

一見すると「なんてひどい話だ!」となりそうだが、話のラストで定年法の年齢引き下げを発表した総理大臣は言う、「あなた方の運命はやがて我々にも訪れる運命なのです」。そう、これは俺たち若者が生きるために年寄りは切り捨てろ!といっているのではない。人類が生き残るための究極の手段なのだ。
主人公はこの政府の決定に憤慨することもなく、最後には若者に席を譲る。今の現代、お年寄りには席を譲ろうという道徳があるが、近い将来、このまま本当に少子高齢化が進行し、食料難に陥ってしまえば、その発想は逆転され、人類の存亡のために、老人は身を引かなければならなくなるのだろうか。

この話を1973年に発表しているのだからすごい。
この頃ってちょうど今の団塊の世代が子どもを生んだ世代だから少子化が問題になっていたわけではない。
近い将来、そうなることを予想していたのだろうか。

・どことなくなんとなく
(あらすじ)・・・
主人公は「白い夜」という夢を見るようになった。それが何かは謎だが、その夢をキッカケに、あまりにも変化のなさ過ぎる日常に疑問を抱くようになった。
そんな主人公は気分転換(と妻の薦めもあって?)のため、友人と登山に出かける。
そこで友人は自分が悩んでいること、疑問視していることを友人に語り始める。

(レビュー)
我々が普段生きて生活しているこの状態は、我々の意思によるものだろうか?
毎日が平凡すぎる、それはなぜだろうか?そのことを疑問に持ち始めてから、主人公はどんどん深みにはまっていく。友人は「疲れてるんだよ」とたしなめるが、主人公は聞き入れない。

あらすじを暴露してしまうと、実は今あるこの世界は、すべて核戦争によって滅んだ人類の細胞を、
地球外生命体(何者かは不明)が採取し、その記憶や固体を復元した物だった。主人公はふとそのことに疑問を持ってしまい、最後にはその地球外生命体に呆れられ(?)て終わる。

毎日当たり前のように生きているこの社会が、実は他人によって作られたものであるとしたら、
我々はその創作人の単なる実験の一部に過ぎないとしたら。考えたらキリがないこの疑問を、一歩超えてしまうと、人類は生きていけないのかもしれない。

・ノスタル爺
(あらすじ)・・・
主人公は戦争で死んだと思われていたが、戦後30年あまりジャングルに潜んで暮らしていた。
話は、そんな主人公が帰郷するところから始まる。すでにダムの底になったはずの故郷が目の前に現れ、過去の世界へと突き進んでいってしまう。

(レビュー)
当時、日本には横井さんや、小野田さんなど、戦後何年も外地で生きていた兵士の帰還などが
あり、そこからヒントを得たのかもしれない。主人公は出征が決まり、急いで嫁をとらされた。それは幼い頃からの許婚であり、彼女は主人公に好意を持っていたが、主人公は自分は戦争に出ておそらく生きて帰ってはこない、それならば結婚を断ったほうがいいのではと考えるが当時の風潮や親の意向に押され結婚してしまう。
それから30年経って帰ってきたとき、すでに嫁は他界していた。そんな心残りをもって帰郷すると、過去の世界が現れる。これはタイムスリップといってもいいのかもしれないが、少し違う。主人公が押さないときに見た気ぶりの爺は、やがて来る自分の姿であった。主人公は「一度失ったものを二度失いたくない」というが、幼い自分と許婚の仲を邪魔するわけでも結婚を阻止するわけでもない。ただ、牢に入り、一生隠されて暮らすことを選んだ。そうしていれば、自分が出征したあとの許婚を最後まで見届けることができるからだ。

★絶滅の島
(あらすじ)・・・
主人公たちはたまたま秘島ツアーに来ていた。
その間、人類は突如現れた異性人によりあっという間に滅ぼされてしまった。
異性人達の力は圧倒的で、地球人達の軍事的防衛もその力の前にはなす術がなかった。

彼らは数少ない生き残りとなった。
そんな彼らのもとにも、異性人たちの襲来が・・・。
追い詰められた彼らの運命は・・・?

(レビュー)
残酷描写が多い作品である。
主人公と女性の二人のキャラクターを残し、他の人間は悉く狩られていく。
その異性人達の人間狩りの目的はわからない。有無を言わさずただただ狩っては、串刺しにして火で炙っている。途中、彼ら二人を逃がすために犠牲になった男は語る。「昔この島にいたヤモリが、人間の手で取り尽くされ絶滅した。その理由はヤモリの黒焼きが肺病の特効薬になるという俗信があったからだ。」
そして、今度は自分たち人類が、まさに絶滅しようとしているのだ。
やがて最後の人類となった二人は追い詰められ、立ち向かうが敵うはずもなく、殺されそうになる直前、別の宇宙船がその異性人たちを阻止する。その後、なにやら宇宙語で話をし、二人はその阻止した異性人たちに解放される。漫画のラストにその宇宙後の訳が書いてあるのだが、

「チキュウケナシザル(彼らでいうところの人間)の搾取は禁止されている」
「すみません、チキュウケナシザルの黒焼きは円形脱毛症に効くときいたので」
「それはデマだよ」
ガクッ
・・・
「あやうく絶滅させるところだった。安心して暮らしなさい」

というやり取りがある。
なんともアイロニカルたっぷりな結末だ。そんなデマで人間狩りされちゃあたまったもんじゃない!!と思うかもしれない。しかし、それは我々人類が当然のことのように他の種族にしてきたことなのだ。この作品を読んで、色々と考えさせられた。


 



★は特に好きな作品





下手な小説より面白い



 浦沢直樹の代表作である。
この手の漫画は極たまに毛嫌いする人もいるが、大半の人に好感を得やすい。
話のジャンルはサイコ・サスペンス。
そこに、東西冷戦時代の政治的要素も加わって、物語の難易度は少々高め。

浦沢直樹の同系の作品では『20世紀少年』 『PLUTO』等があるが、どの作品も共通しているのは、“すべての道はローマに続く” だ。(ちょっと違うか・・・)
話の筋は一貫しているが、次の項に移るとふっと前項とは関係のない話から始まったりする。
「あれ?いきなり話が飛んだぞ?」と思って読み進めていくと、後々話が繋がるという仕組みだ。
また、一巻の一つの話にしか出てこなかった脇役キャラが、ずっと後になって再び登場したり、主要キャラの、主人公とは別の時間軸での話が、忘れた頃に出てきたりする。

登場人物はかなり多いが、しっかりと管理されている。
学生のころ、古典の先生が「源氏物語のすばらしさは、登場人物が桁はずれに多いのに、辻褄が合わなくなるようなミスがないところだ。」と言ったことを思い出した。
例えば、既に死んだはずのキャラを、後々忘れて登場させてしまったとき、「実は死んだと思っていた彼は生きていたのである」 のように誤魔化して、筋をおかしくしてしまうような失態がないということである。(意図的な場合を除く)
また、浦沢直樹は個々のキャラを大事に扱うので、主人公の占めるウェイトは他の漫画に比べるとだいぶ少ないが、たとえ主人公が一つの話に全く登場しなくても、(大げさにいうと丸々一冊に登場しなくても)飽きることなく、違和感もない。
言い換えると、脇役を使っての話の盛り上げ方が巧いのだ。

ベルリンの壁崩壊前の東ドイツのことは、誇張した部分や、歴史誤認と思われる箇所もあるだろう。
しかし、さすがに作者も取材に限界があったと思うし、こと細かく言いすぎるのは少々酷である。

日本人の漫画家が、海外を舞台に話を構成するのは、容易なことではない。
同作品は、世界中で(ドイツでも)高い評価を得ており、ハリウッドでは映画化もされる。
世界に誇れる日本の漫画だといっても良い。

フィクションとノンフィクションの絶妙な組み合わせ

手塚作品の中でも早い段階で読んだ作品。
表紙から大体わかるように、アドルフとは“アドルフ・ヒトラー”のアドルフが基になっている。
そこから架空の2人のアドルフ少年が、史実に登場する人物と絡んで、物語は成り立っている。

ヒトラー率いるナチスが台頭していた時代から二次大戦後、中東戦争までが時代背景になっていて、
その歴史上に出てくる実際の人物に、架空の人物の話を織り込んでいるが、あくまでもフィクションである。

物語に出てくるナチ党院は実際の人物(ゲッペルズやアイヒマン、ヒムラー、ゲーリング等) が多く、また、日本の軍人も有名な人物が出てくる。
ベルリンオリンピックや、映画でも有名になったスパイ・ゾルゲ事件なども出てくる。


史実を壊さず、フィクションを作るのはなかなか大変なことで、
手塚治虫の才能に圧巻された。

ヒトラーによる、ユダヤ人排斥や、特高による共産党員狩りなど、戦争や差別に対する批判のように受けられがちだが、作者がメインテーマにしたのはそこではない。“差別”は手塚漫画にはよく出てくるテーマだが、
その内容は一環して、差別を非難するものではない。

なぜ人は差別するのか?
この物語では、ヒトラーがユダヤ人であることを前提にしている。
自身がユダヤ人であるのに、自分と同じ血の民族を排斥せんとする矛盾が、なぜ起こってしまったのか。
それは、もはやヒトラー一個人の問題ではなく、世界規模での風潮や世論が生んだものではないだろうか。
毎日の生活が苦しい。なぜだ?戦争に負けたからだ。なぜ負けたか。ユダヤ人が我々の国に巣食い、美味い汁を吸っているからだ。ユダヤ人を排斥すれば、自分たちが豊かになるに違いない。
こんな言いがかりに近いことが、当時は立派な大義名分になってしまったのだ。
そして一般市民は、ヒトラーが救世主であり、ユダヤ人といえば悪の象徴だと心の底から信じて疑わなかった。

作中、特に印象的だった箇所がある。
ドイツの一般市民が、晒し者にされているユダヤ人に対して暴言を浴びせたり、暴力によって倒れたユダヤ人を冷たい目で見ている老婦人などのシーンだ。そこには良心の呵責に苛まれる、などといった常識的な感情などは一切見られない。かといって悪意があるわけでもない。ユダヤ人は然く排斥されるべきだ。と当たり前のことと思っている。その表情の画は絶妙である。
そして、次のシーンはこの作品の中でもとりわけ興味深い。
作中、ロンメル元帥がヒトラーの命によって殺されたことをしったアドルフは、それまでヒトラーに忠実な部下であったが、さすがに敬愛していた英雄を殺され落胆の色を隠せなかった。
ユダヤ人輸送担当官に左遷されていたアドルフとアイヒマン少左とのこんなやり取りがある。

「あんな英雄を殺すなんて。総統は完全に狂っている。もう沢山です。狂った総統の下で我々は戦っているんだ」

「今更驚くなよ。とっくに誰だってそう思ってるさ。あの総統の下で忠誠を尽くす我々全員も実は狂人の群れなんだ。俺も、君もな」

ヒトラーに忠実な人間ほど自分が行っていることが狂気であることを承知している。彼らこそ実は一番正常なのだ。アイヒマンは実在の人物であるが(そういえば、アイヒマンもアドルフだ・・・)もちろん、このような発言の事実はなく、作者の創作だ。だが、実際にそう思っていたとしてもなんら不思議ではない。いや、むしろ本当にそうだったのかもしれない。

作者はあくまでも客観的に見ていて、これらの光景を全く関係ない外側の世界から描いている。
作者自身、戦時中を生きてきた人間だからこそわかる、当時の狂気なのかもしれない。

話のラストは少々無理やりといった感じはあるが、よくまとまっている。

時代に翻弄されて生きた二人のアドルフの人生とはなんだったのだろう?
虚しさが残る作品だった。

F

F1にかける情熱



本作品はビックスピリッツコミックスで連載されていた。
F-1ドライバーを題材にした漫画だ。
画は決して綺麗ではなく、少し下品な内容もあるため、女性ウケは悪いと思う。

F-1を扱った漫画だが、メインテーマは主人公と主人公を取り巻く人々達のヒューマンドラマである。
F-1はそのための道具というか、狂言廻しのような役割になっている。

話の流れや雰囲気は『明日のジョー』に似ていると思う。
物語の前半では、力石に似た存在も出てくる(というか力石に似てる)。
作者は影響を受けていると思う。
決して悪い意味ではない。

『明日のジョー』もそうであったように、レースで勝っても“幸福感”がない。
常に虚しさが残る。
読んでいて決してスカっとする漫画ではない。
どちらかというと陰鬱な気分になる。
読んでいる時は、途中まで気づかないのだが、全体的な内容は暗い。

だが、話の進め方は読んでいて飽きない。
読むのに根気のいる漫画だが、最後まで読まないわけにはいかなくなる。
なかなか内容の濃い話の構成である。

少年漫画ではないので対象年齢は高校生以上である。
性的なシーンも多少登場する。

続編もあるが、まだ読んでいない。
また、アニメ化もされたようであるが、残念ながら見たことがない。

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1979/09/14
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