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エンターテイメントとリアリティの許容範囲
映画好きに語らせると、映画は芸術か娯楽かという話題になれば、ハリウッド映画は娯楽だがフランス映画は芸術だ、なんて論争がしばしば起こる。 では漫画はどうか。 漫画に芸術性を唱える声はほとんどない。 おそらく、娯楽の要素が大半を占めているだろう。 娯楽とは、人々の様々な感情になんらかの働きかけをする創作物のことだ。 つまりエンターテイメントである。 昨今のハリウッド映画を見ていると、非現実的であり、超人的な話やシーンが多く登場する。 さらにCGや特撮技術の進化に拍車がかかり撮影の大半をスタジオ内で終わらせてしまうこともできるほどになってしまった。 しかし、見ているものはそんなことは気にしない。 何らかの感動が得られればそれで満足だし、金も払うだろう。 たとえ人がビルとビルの間を飛んで移動しようが、弾丸を仰け反ってかわそうが、構わないのだ。 それは漫画の世界も同じで、長い漫画の歴史を遡れば、超能力を扱った話も未来の話も空想の世界も超人的なパワーを持つ人間の話もなんでもあった。 そして、その非現実的な話に大きな批判が起こったことは、倫理的な問題を除けばほぼなかっただろう。
ところが、この漫画。 テニスの王子様(通称『テニプリ』というらしい・・・)はamazonや他のレビューサイトを見ても、その非現実的なテニスのプレイぶりに辛辣な批評で袋叩きにあっている。 物語は、主人公先天性天才型で、主人公は最初からずば抜けた才能を持っている。 テニスの名門中学に入学し、そこで出会ったプレイヤー達と様々な試合に臨んで行く。 という粗筋。 少年サンデーで『LOVE』というテニス漫画があったが、始めの頃は若干共通する点もある。 連載開始当初は、天才ぶりもまぁかわいいもので、着弾点が予想できるとか、ものすごいカーブを描く変化球、くらいのものだったが、連載を重ねていくごとに、数々の常軌を逸脱した魔球や必殺技(分身したり竜巻を起こしたり・・・)が登場し、もはやテニスの領域を完全に超えてしまった。 毎回毎回新しい技が出ては更にすごい技が出る、パワーインフレーションならぬ、テクニックインフレーション状態に陥っている。 そんな漫画故に各地で非難を浴びているが、創刊36巻で尚も連載中という長寿漫画なのだ。 その人気の秘密はどこにあるのかと私は疑問に思ったのだが、どうやらかなり女性ウケがいいらしく、特にオタク系の女性(?)にかなりの人気を博しているらしい。
今までにもありえない技やテクニックが出てくる漫画は沢山あった(キャプテン翼など)のに、なぜこの漫画は数々の酷評を得ているのだろうか。
一つ目の理由、画が写実的であるのに、非現実的すぎるということ。 画が、どちらかといえば現実的な方に偏っているので、読んでいる者はどちらかといえばリアリズム的な視点で読んでしまう。 同じカテゴリーで言えば、『ヒカルの碁』もそうだが、あちらは“幽霊が取り付いている”という設定にもかかわらず酷評はされていない。なぜなら、ヒカルの碁においてのヒカルと佐為の関係は、二人以外知る者はなく、普段は街の情景や実際の制度など、取材によって構成されていて、非常に現実的であり、読者はヒカルと佐為の非現実的な部分と、その他の現実的な部分を区別して読むことが出来るからだ。 キャプテン翼はどうだろう。 はっきり言って画は綺麗とは言えない。つまり現実的ではない。 また、年代も古く、どちらかといえば、昔のスポ根の流れを微妙に受け継いでいる。 この時代はまだ漫画は漫画、という時代であり、完全にフィクションとして読まれていた。 だから、魔球やありえないプレイは話をよりドラマティックにする為の必須要素であると容認されていたのだ。(批判もあることはあるが・・・)
本作品はどうだろうか。 画が写実的であるにもかかわらず、物語中、非現実的なことが当然の如く罷り通ってしまっているのだ。 読者は非現実的なことを現実的なこととして受け入れることはできない。 やがてその行き過ぎた状況に、ついていけず、拒否してしまう。 そしてありえない物語だけがドンドン先へ一人歩きしてしまい、取り残された読者は冷静に批判を始める・・・。
二つ目の理由、ワンパターンであること。 これは他の漫画にもいえることだが、本作品は本当にワンパターンだ。 最初負けそうになる→まだまだこれからだぜ→勝つ というパターン。 あまりにも安易だ。 大きな試合の合間には、所謂breakもあったりするのだが、それもワンパターン化してしまっているという凄惨さ。 これだけパターン化してしまっている漫画なのに、女性ウケするキャラクターの豊富さゆえに、続いてしまっている漫画ということで、目の肥えた読者からは非難を浴びるのは仕方ないことかもしれない。
そう、三つ目の理由。 女性の人気が高いということだ。(だが、一つ勘違いしないで頂きたいことは、この漫画は決して女性向けではないということ。 『一部の女性』に人気があるというだけ。 たとえ少女漫画雑誌で連載したとしても、ウケないだろう。) 話が面白いから人気があるというよりは、キャラクターに惹かれている人が多いようだ。 美しい顔で描かれる少年たちは、かっこよさを通り越して、もはや耽美的ですらあるといえる。 女性の、所謂正太郎コンプレックスを刺激するにはちょうどいい感じの画なのかもしれない。 そんな一部の女性の人気を得てしまったがために、この作品の登場人物達はまるで毎度毎度女性に媚びてるホストのような目で見られるようになってしまった。 一般読者視点で見れば、この様な状況をジャンプで繰り広げられることは勘弁願いたいだろう。
この作品にも情状酌量の余地はある。 今の時代には合わないのだ。 物凄く上質な画に慣れてしまった現代の読者からすれば、本作品の画はそれほど質の高いものではないし、スポーツ漫画で超人的なプレイは目新しいわけではない。 どちらかといえばリアリズムが主流な現代で、余りにも非現実的すぎる。そして、非現実的なことを現実として書いてしまっている。 意図しないところから、意図しない読者層へ人気が出てしまった、それらオタク的な女性の社会的認知度は最近上がってきたばかりだ。 彼女たちの好む代表作に祭り上げられてしまったのだ。
さて、私の個人的感想を言えば・・・私は単行本の途中で読むのを辞めてしまった。 超人プレイだの魔球だのはどうでも良いのだが、話がワンパターンすぎる、エンドレスループだと、見切りをつけてしまったのだ。 はっきり言ってしまえば読んでいて飽きた。
作者はこれだけ批判されてもまだ続ける意欲を示しているらしいが、素直に終わらせたほうが賢明だと思う。 実のある漫画としてこの先息を吹き返すことはないだろう。