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映画のようなファッションセンスと画。
10年以上前の漫画だろうか。小生はまだ小学生であった。
スピリッツで連載されていたと思う。
ある日、小学校5年生のクラスに、代人教師がやってきた。
彼女はハリウッド女優並の美貌とスタイル、また、教師とは思えぬファッションで
登場する。
二日酔いは当たり前で、タバコも吸うし、かったるくなると早退する。
そんな女教師と生徒達のドタバタコメディ。
話は主人公が教師として赴任してから、生徒たちが卒業するまでの
3年間(生徒は当初5年生だが、留年するので卒業まで3年かかる)
の間、1話~3話ほどの読みきり形式で進んでいく。
大別すると、確かにコメディなのだが、
この漫画をコメディと一言で言い切ってしまうには惜しい。
たいてい、教師を中心とした学園ものは、生徒に好かれる先生がテーマで
それは“理想の教師”像を描いた作品を意味する。
本作品は、“生徒に好かれる教師” というのは結果的なものであって、
主人公はいい先生になろうとか生徒のことを第一に考えようとか
そんな気持ちは一切ない。
ただ毎日、自分の好きなように生きているだけだ。
もちろん、時に優しく、時に厳しく、
そして自分の生活を完全に秘密にし、幻のような存在として消えていく。
最終話を読んだとき、なんともいえない気持ちになった。
あえて言い表すと「変な感動」を覚えた。
切ない?というか不思議というか、夢を見ていた気になった。
本作品はそこまで完成度の高い漫画ではない。
(途中いらない話や無理やりとわかるような話がいくつかある)
だが、それらも含めて、すべて最終話を盛り上げるための一つの効力となっているのかもしれない。
本作品の最大の特徴として、画の綺麗さ、センスのよさがある。
画はDEATH NOTEのような写実的なものではないのだが、
センスがいいのだ。
特に主人公は毎回色々な(パリコレに出てくるような)衣装で登場する。
扉画は映画のワンシーンのようなものが多い。
コミック1巻ごとのサブタイトルにブリジットバルドーなどのセックスシンボル系の女優名が使われていたり、
題名の一つ一つが必ず映画のタイトルになっていることなどから
作者の映画好きが本作品にかなり影響していることがわかる。
少しクセのある漫画でもあるので、
あまり友人に勧めたりしていないのだが、
個人的には好きな漫画。
なお、私はスピリッツで読んでいたのでわかるのだが、
未収録の話が結構多い。
スピリッツに何とか読む方法はないかと聞いたのだが、
現状は無理だとの回答があった。
実は続編も出ている(2話で終了?)らしいが詳細は不明。
作者は漫画家を引退との説も。
少女漫画の枠を超えた、アクションサスペンス。
主要登場人物に女性がいない。
主人公と準主人公である二人は白人男性(アッシュ・リンクス)と日本人男性(奥村英二)で、
二人の関係は友情というカテゴリーを超えて、同性愛のラインに近い。
舞台は1980年代後半の米国ニューヨーク。
主人公のアッシュはストリートギャングのボスで、日本から取材にきていた英二と知り合った。
「バナナ・フィッシュ」と呼ばれる合成麻薬の謎を追いかけることになったアッシュだが、
その背景にある陰謀に英二も巻き込まれていく。
1985年といえば、プラザ合意によってようやくドル高が是正されはじめたころだ。
為替レートも円はドルに比べ半分ほどの価値しかなかった。つまり、NYに旅行に行くのに、今だと30万かかるとしたら、当時は60万かかっていた計算になる。アメリカは今ほど気軽にいける場所ではなかった。
更に、当時のニューヨークといえば世界で1.2を争うほどの超犯罪都市。地下鉄は落書きで埋め尽くされ、財布を捕るための殺人が毎日のように起こっていた。この頃はストリートギャングと呼ばれる不良少年グループも数多く存在し、組織によっては1万人を優に超えるものもあった。
彼らは麻薬・銃器・売春などを生業とし、時には警察と激しい銃撃戦になったりと犯罪の質も大人顔負けであったようだ。一時日本の都心部で見られたようなストリートギャングとは比べ物にならない。
作者はこの漫画を描くにあたってどのような取材をしたのだろう?
実際に現地を訪れたとしても、ストリートギャングの取材など無理だろう。
だとしたら、映画や本しかない。
作中には知識不足、事実誤認と見られる箇所がいくつか存在するが、
当時の時代背景を鑑み、そこまで完璧な作品を求めることは聊か酷である。
画は前半と後半でかなりの差があり、初期は雑であるが、後半は質が高いものとなっている。
かなりの長編で読むのは少々しんどいし、内容も難しいので理解するのにも時間がかかるかもしれない。
人によってはこの手の漫画は受け付けない人もいる。
個人的には私の好みの漫画であるが、No.1ではない。
アッシュと英二の関係が、薄いと感じているからだ。話が進むにつれて、アッシュは段々と常人ではない天才の扱いになっていくのだが、そんな彼が唯一心の許せる人物として英二を出してくる。
ところが、そんな英二の存在は私からみれば単なる癒し系の人間にすぎないのだ。
海外を舞台にした漫画は、読者に引かれないように日本人を登場させたりすることはよくあることだが、この漫画の場合、英二の存在が話にそこまで大きいウェイトがあるとは思えない。この二人の関係が同性愛に発展しようがしまいがそこは問題ではないのだが、本筋にそこまでの必要性が感じられないのだ。
とはいえ、やはり大作であるという評価には変わりはない。
長編をしっかりとした話の筋をもって、完結できる漫画家というのは多くはない。
個人的には同作者の『カリフォルニア物語』もオススメ。
今までにない三国志の捉え方。Neo三国志の名に相応しい巨編。
これまで、三国志といえば吉川英治であり横山光輝であった。
そして他にも数々の三国志を題材にした漫画が発表されたが、
そのほぼ全てが『三国志演義』である。
三国志に明るい人には説明するまでもないことだが、
知らない人のために簡単に説明してみる。
三国志とは中国のおよそ180~230年(後漢~晋)までの間に起こった
三つの国の争いの歴史である。
三つの国にそれぞれ君主が統治しており、そこに仕える武将や軍師達など
戦乱の世に生きた多くの人々について人物ごとに書かれている。
ところが、この『三国志』には『三国志正史』と呼ばれるものと『三国志演義』と呼ばれる
二種類の話が存在する。
それぞれの詳しい説明はここでは割愛するが、
正史=事実、演義=作り話、 という見方が一般的である。
(だが、正史の著者の当時の立場を考え、全てが真実ではないという見方もある)
そして、今まで日本人が読んできた数々の小説や漫画は、全てこの『演義』の話なのだ。
この『正史』と『演義』には大きな差がある。
演義を読んだ後に正史を読むと、演義の中で大活躍しているカッコイイ武将も、
正史では名前がちょろっと出てくるだけで全然影が薄い・・・なんてことはよくある話だ。
また、演義はかなり偏って書かれてあり、三国の中でも “蜀”(国の名前)を中心に書かれている。
そして、三国の中で一番力を持っていた “魏”が敵、という図式になっている。
蜀の君主(劉備)=善、魏の君主(曹操)=悪 という筋で話はほぼ一貫している。
小生がまだ子どもの頃、ファミコンで三国志をやっていた子どもは、みんな劉備やその配下の武将が
大好きで、取り合っていたのを覚えている。
そんな三国志=三国志演義の風潮に、一石を投じたのがこの漫画である。
原作者は曹操を主役として、三国志正史に基づき話を創作している。(正史に忠実なわけではないが・・・)
この漫画が出てからというもの、それまで見向きもしなかったような
魏の武将や軍師の人気は大幅にあがったと思う。
コーエー(三国志のゲームを出している会社)の三国志では、それぞれの武将に知力、武力、魅力、などの数値をつけているのだが、この漫画が出てからというもの
魏の武将の評価は一気に上がっていた。
私は、作者の描く曹操像よりも、董卓像のほうが興味深かった。
今まで、賄賂大好き、善意なし、水戸黄門に出てくるような悪代官そのもの、という董卓しか見たことがなかったので、この漫画の董卓をみたときは衝撃的であった。
この漫画に出てくる董卓は非常に残忍であることは同じなのだが、自分の中に確固たる天下人の自信を持っている。
董卓は悪として後世に語り継がれるだろうが後世を心配することに何の意味があるのだろうか?
自分はいまここに天下人として生きている、これが今の天下の全てである。
つまり、善も悪も超えた存在が真の王となれる、と董卓は言うのである。
あまりのスケールの大きい董卓に、身震いしたくらいだ。
ここに原作者の歴史の捉え方が非常によく現れていると思う。
何が善で何が悪なのか、三国志という話を通して私たちに問いかけているのかもしれない。
この漫画自体は三国志を知らない人には少々理解が難しいかと思われる。
なぜなら登場人物が非常に多いからである。
三国志をよく知る者ならば、歴史の流れも登場人物も、ほぼ把握しているので
なんら抵抗はない。
そう、三国志は知っている者と知らない者とでは0と100の差があるのだ。
原作と漫画は別の人であったが、原作者は連載途中で他界。
その後、漫画担当者がそのまま連載を進めていった。
ところが彼は三国志は全くの素人だったらしく、途中から話のテイストにやや変化が見られる。
(しかし、自ら三国志を勉強したらしく、曹操が死ぬまで書き上げた。)
また、蒼天航路は曹操を美化しすぎている点があることも否めない。
三国志は歴史が古すぎて何が真実かわからないので、捉え方は人それぞれ自由であるが、
少々“魏”に偏りすぎている。
三国志には個人の好みが別れるので、蜀好きな人からは批判されることもあるだろう。
だが、これらを全てひっくるめても、この漫画の評価は高い。
それは三国志を新しい観点から表現したから、という理由だけではなく、
画の質、コマ割、迫力のある戦闘シーンなど、
漫画という視点からみても完成度が高いからだ。
子どもが見れる漫画ではないが、大人になってからも十分楽しめるのが三国志。
知らない人は是非三国志を勉強してみてはいかがだろうか。
アンチテロリズムにかける女達の情熱
1990年代にヤングアニマルで連載されていたアクション漫画。
テーマはアンチテロリズム。
軍隊と同じような民間組織(一応会社)に属する女性部隊が
あらゆるテロリストと世界中で戦うストーリーである。
(話の本拠地はアメリカ)
テロリストに愛する夫と子どもを奪われた主人公は、
テロリストと戦うべく、CAT(カウンターアタックテロリズム[会社名])に入隊する。
そこで彼女をコマンダーにする個性的なメンバー達の戦いを描く。
だいたい3話~7話くらいまでの読みきりである。
全15巻。
この漫画のおもしろいのはキャラクターで、
主人公は日本人(推定26~8歳)で、他のメンバーもアメリカ人、ドイツ人、ロシア人、
中国人、など様々。
さらにそれぞれ得意分野があり、ヘリを操縦するもの、狙撃を得意とするもの、
爆弾処理を専門にするもの、などである。
メンバーの一人をピックアップした話もある。
ほぼ全ての話はテロが軸にあるが、そこにメンバー間に起こった問題や
個人が抱える悩み、トラウマ等を絡めて一つの話を構成している。
メインテーマは主人公とメンバーの信頼関係。
話の舞台はアメリカなので、主人公も純粋日本人だが、アメリカ国籍でありアメリカ人として生活している。
主人公のキャラクターは曖昧に見えてしっかり出来上がっている。
軍隊にいるかのように銃をバンバン撃つような仕事だが、
いいとこ出のお嬢様で、言葉使いや生活態度は上品、
おっとりしているように見えてかなりの切れ者で、たまに感情的になる。
その相反する要素がうまく混在している。
主人公のキャラが強すぎず、うまく周りのキャラクターと相互に引き立つようになっている。
1990年代の作品なので、米同時多発テロより以前の作品だが、
(結果的にだが)この漫画は早々と警鐘を鳴らしていたのかもしれない。
また、日本人のテロに対する認識の甘さも皮肉っている。
98年の長野オリンピックにあわせて、日本の警察に対テロ講習を指導しにいく、という話があるのだが、
余りにも平和ボケしている日本の警察にガッカリする、という内容だ。
この漫画では、テロリストとわかった瞬間になんのためらいもなく殺す。
作者がどれだけ取材をしたのかはわからないが、実際テロリストに対抗するためには
それだけの心構えが必要ということだろう。
漫画のコマ割やアクションの流れは、『シティハンター』や『ガンスミスキャッツ』と共通するところが見られる。
映画のようなフローで読んでいてハラハラすることも多い。
スカッとした爽快感を味わいたいときにお勧めする。
抑揚のない話の中に引き込まれる
花とゆめで連載されていた少女漫画。
少女漫画でありながら、恋愛ストーリーはほぼ皆無である。
主人公も男子学生である。
物語は大学受験を控えた主人公が国立大学(H大となっているが、
クラーク博士の銅像などが出てくることから、北海道大学であることは間違いない)
の獣医学部に入学し、獣医になるまでの間、そこで起こった様々な出来事、
学生生活を淡々と描いている。
(時間軸は繰り返すことなくしっかりと進んでいくが、話は一話完結型である。)
恋愛ストーリーがないのも特徴の一つであるが、その他、ドラマティカルに盛り上がる話もほとんどない。
敢えてどのカテゴリーかと問われればギャグ漫画であるが、腹を抱えて笑ってしまうような話もない。
ノンフィクション系のフィクションで、実際の登場人物は架空(一部モデルがいるらしい)であるが、
登場する大学、動物園などは実際に存在するものが多い。
取材もかなり綿密に行われており、コミックの最後のページには“この漫画を描くにあたって多くの人に協力していただきました” という言葉とともに、たくさんの名前が書かれている。
画のレベルは最高級で、特に動物を描かせたら右に出るものはいないと思えるほど
写実的で、また、特徴を捉えるのが巧い。
その中でも、動物にも感情的な表情を持たせるなど、単なる写生ではなく“漫画”になっている。
動物にはセリフといえるものがあり、吹き出しにこそなっていないが、
同じコマ内にレンダリングされたような文字で書かれている。
それは、非現実的なはずなのに、違和感はない。
まるで、本当に動物はこう思っているのだろうという錯覚さえ覚えることがある。
“獣医”という漫画としては取り上げ辛いテーマであり、さらに物語に盛り上がりがないので
いったい何が面白いのかと問われれば答えようがない。
今まで読んだ漫画の中でも最高傑作だといえる作品でもないが、
初めて読んだときはなんとなく最後まで読みきってしまった。
今でも好きな漫画の一つで、たまに思い出したように読みたくなる。
そんな不思議な作品である。
専門用語はたくさん出てくるが読んでいて疲れない。
今時の言葉で言えば癒し系なのかもしれない。
昨今、漫画のドラマ化が著しく増えたなかで、
この漫画にもドラマ化の魔の手がのびてきた。
漫画のドラマ化に断固反対しているわけではないが、
ドラマ化できるものとできないものがあることをしっかりと判断してほしい。
この作品のドラマは少ししか見ていないが、ドラマとしては失敗であると思う。
なお、この作品によってシベリアンハスキーがブームになったが、
あまりの成長ぶりに手に余ってしまい、捨てる飼い主が増えたことが社会問題になった。
このような作品が若者に影響を与え、獣医という仕事に興味を持つことはいいことだ。
登場する動物がかわいいからと新たにペットを飼うことも悪いことではないだろう。
だが、動物を一時のブームとして捉えるには、『ヒカルの碁』のように碁がブームになって
やがて飽きてやめてしまった、というのとはわけが違う。
良識のある大人としての行動をとるべきである。